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2016年11月10日

大人の日記は主体形成の場

ヨーロッパの古典主義時代(17世紀ごろ)、修道士はかなり緻密な告解をしなければならなかった。
彼らにとって性的な欲望は一種の罪であるが、重要だったのは性的な欲望をなくすことではなく、自分がどういう性的欲望をもっているかということを細かく分析することにより、いかに自分をコントロールできるようになるかを目指していたと、フーコーは考える。

だから、自分がどういう性的欲望をもったかというのを、微に入り細にわたり告白しなければならない。こういう体位でこの修道女を犯そうと考えました。このとき、私はこの足のこのへんに欲望を感じました、というのを延々と話して、私は罪深い人間ですと言わなければならない。

この告解はどういうことを目指していたかというと、自分が自分自身について知っている、欲望の中心の性的欲望にあり方について非常によく知っているがゆえに、それを罪として認識できてコントロールできる主体を形成しようとするものだと、フーコーは述べている。



Posted by amegasuki at 15:54